ウールをはじめとする繊維の一大産地・尾州地域。繊維に関するさまざまな企業が集まり、糸から織物、そして縫製までの工程をワンストップで行っている地域は、日本でもなかなか珍しいんだとか。そんな尾州地域の高い技術で生み出された最高級毛織物の素晴らしさを広めようと、繊維企業に所属する若手社員たちが企業の垣根を越えて自主結成したのが「尾州のカレント」です。今回は、毛織物卸商の大鹿株式会社に所属しながら尾州のカレントの代表を務める彦坂雄大さんに尾州のカレントの活動内容や、今後の展望についてお話を伺いました。
― もともとアパレル業界で働いていたそうですが、大鹿株式会社に転職した理由を教えてください。
彦坂:日本の繊維工場の中でも尾州にしかない加工技術で生産されたウール生地は、高級なアパレルブランドのバイヤーがわざわざ足を運ぶくらい、世界でも有数な毛織物です。7年間セレクトショップに勤務していましたが、こんなに優れた繊維を生み出せる産地が身近にあることに感動し、もともと生産者に対する憧れも抱いていたので、尾州にある毛織物卸商の大鹿株式会社に転職を決意しました。
― なるほど。尾州が生み出すウール生地の特徴についても教えてください。
彦坂:ウールは、羊の毛を一本ずつ引き揃えて生地に加工しています。まず、羊から取れるウールは、健康状態や食事、日光をどれだけ浴びているかなど、一頭一頭で品質にばらつきがあります。品質を見極め、ウールを様々な種類の生地にできる技術は、日本でも尾州だけなんです。 尾州が作るウール生地の特徴は、高品質・高性能なところ。また、汗をはじくと同時に湿気を外に逃がす機能を持っており、保温力に優れています。発汗作用があるので、温度差が激しく汗をかいた後に山頂で体が冷えてしまいがちな登山用の服としてもおすすめです。
― 繊維の中でも質・機能ともに優れているのが尾州のウール生地なんですね!その魅力を広めるために尾州のカレントを設立したんですか?
彦坂:こんなに素晴らしい生地があるのにあまり世間に伝わっていないということに危機感を感じました。店頭で売られている服にも尾州産の生地は使用されているのですが、その生地が尾州産の生地だということや生地の特徴まで把握しているアパレル店員さんはほとんどいません。店頭で尾州産の生地が埋もれてしまっているのはもったいない。売り場と生産現場の距離感を少しでも縮めるために、生地単体ではなく消費者が手に取りやすい尾州産の“洋服”として消費者に直接販売し、魅力を伝える目的で尾州のカレントを立ち上げました。店頭で埋もれている尾州産の服に必ず出会える場所は、消費者にとってもすごく新鮮な機会になると思います。ウール生地は繊維生地全体の約1%のシェアしかなく、逆にいえばこの魅力を知らない人は99%もいる。だからこそ、尾州のカレントを通じて、ウールがどれだけ優れた繊維なのかを私たちが作った“洋服”を通じて届ることができたら、繊維業が持つ可能性が広がると思ったんです。
― そうなんですね!最初はどういった活動から始まったんですか?
彦坂:ちょうど2019年5月に一宮市で行われた「杜の宮市」へ、尾州の繊維企業をまとめて出店してほしいというオファーが私のところに来ました。これまでも企業各々で出店することはあったんですが、企業の垣根を超えて出店するのは今回が初めて。これまで繋がりのなかった企業をまとめるのが、当初の難題でした。自社のノウハウやお客さんを取られたりすることを懸念する企業も出てくるのでは?といった心配もあったんです。一方で、繊維業界を盛り上げようと、自分以上に熱い思いを持った各企業の若手社員がいることも知っていました。業務時間外に活動するのであれば、会社も応援してくれるだろうと思い、7社の企業が参加するかたちで尾州のカレントを設立。2019年3月から本格的に活動をスタートさせました。
彦坂:服や生地のブランドは持っているけど商品の種類や品数が少ない企業が多かったのですが、尾州のカレントとしてまとまって出店することで集客力が上がり、消費者に尾州としてのインパクトを残すことができました。これを機に各企業がSNSを立ち上げ、自社製品の魅力を発信することも増えましたね。今でも、消費者に直接商品を売ることやSNSでの発信が尾州のカレントの中心的な活動になっています。
― これまでバラバラだった企業がまとまることで相乗効果があったんですね。他にはどんな活動を?
彦坂:今は、11月22日(日)に尾州のカレントが主催する「びしゅう産地の文化祭」の準備をしています。これは去年から始まったイベントですが、今年は新型コロナウイルスの関係で、20人限定の完全予約制で開催する予定です。職人から教わる機場の工場体験や、プロ用のミシンを使った縫製のワークショップなど、尾州でしか経験できないプログラムを用意。どうやって服が作られているかを少しでも知ってもらうことで、服を素材から楽しんだりするきっかけになってほしいという狙いもあります。
― 消費者と生産者の距離が縮まりそうなイベントですね。尾州のカレントでは定期的にオリジナルズボンの受注会も開催しているんですよね?
彦坂:受注会のイベントの目的は、実は生地を見てもらうこと。メンバーが自信をもって取りそろえた20種類ほどの生地の中から、お客さんが選ぶかたちで注文をいただいています。生地を選べると、実際に触って感触を確かめたり、着心地を想像したりしますよね。そのプロセスの中で参加者が少しでも尾州の生地に愛着を持ってくれたら嬉しいです。
― オリジナルズボンを制作した際の苦労やこだわりについても教えてください。
彦坂:尾州のカレントは各分業のプロが集まっているので、デザインが決まったら生産を含めて、だいたい2週間程で商品が出来上がります。これは、普通の商品生産では考えられないスピード。通常、それぞれの分業を担う企業に1つずつ見積もりを出してもらうんですが、尾州のカレントでは、どの生地をどれくらい使うとどれくらいの値段で生産できるかが1回の会議で分かっちゃうんです。デザインへのこだわりとしては、「尾州の生地を知らない人にも着てもらいたい」という思いがあるので、限りなくシンプルで万人受けするものを意識しました。アパレル業界では、実は“ズボンの接客が一番盛り上がる”と言われていて、体型を気にして試着を躊躇したり、靴を脱がないといけなかったりハードルが高い分、実際に気に入ってもらえると信頼を得やすい商品でもあります。ズボンを尾州のカレントの1つ目のアイテムとして選んだのには、消費者との信頼関係を築いて、ズボン以外の尾州産地の商品にも興味を持ってもらえる有効的だと思ったからです。
― これまで受注会では実際にどんな反響があったんですか?
彦坂:ありがたいことに嬉しいお声をたくさんいただいています。なかには「家にあるズボンとは履き心地が全然違う!」 と感動してくださる参加者もいるほど、ウール生地の魅力に気づいたときの衝撃って大きいんです!しかし、現時点では参加者のほとんどが元々尾州の生地の良さを知っている方のため、まだまだ認知度が低いという課題もあります。なので、今回の受注会では、20種類の生地の中でも「地元で活躍するファッションリーダーが選んだ生地」というカテゴリーを作りました。地元のインフルエンサーを巻き込み、そのファンたちに尾州の生地を周知することができるのではないかと期待しています。今回の“繊維×地元インフルエンサー”といったように、繊維だけでは難しくても、繊維と何かを組み合わせていくことで尾州を知らない人にアプローチできる手段は無限にあると考えています。
↑受注会で販売予定のズボン
― 最近では、活動拠点もオープンされたんだとか。
彦坂:アパレル業者のバイヤーやデザイナー、そして消費者が訪問できる場所として、一宮市の工場内を改装し「尾州のカレント新見本工場」という名の活動拠点を作り、2020年10月からはプレオープン。2021年4月からは常設オープンする予定です。アパレル業者のバイヤーやデザイナーは、より良い生地を求めて全国各地に足を運ぶんですが、7社が揃っている尾州のカレントでは、一度に上質な尾州の生地を見比べることができ、気に入る生地に出会える可能性が高くなるんです。また、直接消費者に販売できる機会を大切にしていきたいと考えているので、個人の消費者が直接商品を購入できるスペースも用意しています。
↑10月に完成した尾州のカレントの拠点。現在は、予約すれば一般のお客様も見学できます。
― 拠点ができたことで、さらに尾州の生地の魅力が届けやすくなっているんですね。最後に今後の展望を教えてください。
彦坂:今は、何かと比べられて負けているわけではなく、そもそも尾州の生地が知ってもらえていないという現状があります。ですが、尾州の生地の魅力が多くの人に伝わったときには とんでもなく大きなムーブメントが起こると思っているんです。 尾州の近くには、一宮市や、名古屋市など、身近で人口が多いマーケットもあります。また、尾州のカレントの活動以前からスタートさせている自社ブランド「blanket」では、尾州が生み出す上質なメルトン生地を使ったコートやブランケットを展開し、尾州生地の魅力をもっと広めたいです。私たち地元の生産者が発信することで消費者にとっても説得力が増し、信頼関係を築いていけると考えています。今後は、繊維業界に限らず、尾州のカレントから刺激をうけて、同じように同業種間で団体を立ち上げたり、今度は業種間の垣根を超えてコラボしたりするなど、少しでも社会に影響を与えられたら嬉しいですね。そうやって尾州のカレントの輪が少しずつ広がっていき、尾州の生地や洋服の魅力も自然と伝わっていってほしいです。
↑大鹿株式会社の自社ブランド「blanket」のコート
(文:岩井美穂)